24日 最終日
7時過ぎ、起床。(寝てないけど)
昨晩と同じレストランで朝食バイキングを頂きます。
昔は船内で火を使う調理ができなかったので質素な物が多かったんですが、近年IHができてからは普通の(?)メニューも並ぶようになりましたね。
かすかに陸地が見えてきました
9:30、残り10km位かな?
10:10、『きたかみ』から降りました。はぁ~本州に帰ってきてしまった。
暑いし湿気が凄い・・・もう嫌だ・・・。
仙台で何する?って話になったときに、息子が「焼きガキを食べたい」と言っていたので松島・石巻方面に行ってみました。
海鮮焼き屋を見つけたので入店。
駐車場も広いし隣に公園もあって良さげ
今はシーズンじゃ無いのであまり牡蠣を食べられるお店も少ない時期なんですが、あるにはあるようです。
女の子達はこれを。
「この汁がうめぇ~!」って、あんた何歳だよ(笑)
何年も前から牡蠣牡蠣言ってたからね。夢が叶って良かったじゃん!
女児達は早々にお店を出て甘い物を楽しみ
公園で体を動かしたり
お次は再び仙台港の方に戻ってきまして、「暇だから山登りでもするか」とだけ子供達に言い、
見渡しても山なんて無い方に向かっていきます。
これは山じゃないですよ。堤防です。
堤防に登ったら見えてきました!
日和山です。”日本一低い”(定義は諸説有り)山だそうです。
軽装でも登れるので、初心者にもおすすめ。
【落石注意】【遭難注意】【高山植物採取禁止】【滑落注意】【クマに注意】など、色々注意を促してきます。遭難はヤバイですね・・・。
登山開始からおよそ5秒、山頂に到着しました。標高は海抜3,000mm程。
と言いますのも震災以前は6m程ある山だったそうなんですが、津波で削られてしまい日本一低い山になってしまったそうです。
海側に進むとそのまま下山できます。
この日和山、毎年7月の第1日曜日に山開きなんかもやっているそうですよ。
その光景を見てみたい(笑)
お次も息子からの希望で震災遺構「旧荒浜小学校」を訪問。
ここは東日本大震災の際、児童や教師のみならず地域住民が避難したことで津波から逃れることができたり避難所として機能した建物。津波は東方向から来ましたが建物が南向き(東西方向が短手)だったことから倒壊せず、多くの人の命を救いました。
実は、ここに来たのは今回で3回目。最初に来たのはここが震災遺構に認定された直後でした。その頃は未だここから見える範囲は瓦礫と基礎だけが残った住宅地が広がっていたし、この建物の中に刻まれた傷跡も経年による物ではない生々しさ つまり地震や津波による傷跡が鮮明に残っていたので非常にインパクトが強かった記憶があるのですが・・・復興が進んで周辺の景色も鮮やかになり、建物も風雨にさらされた事による劣化が進むと震災の爪痕自体が薄くなってしまい、そのうち「ただのボロボロの建物」としか見えなくなってきてしまう時期が来るのではないかと不安になってしまいました。
状態を保存するって大変なことなんですね。
もし行かれた際には、元の教室に中には震災当時のままの黒板が残っていたり、ジオラマや映像記録を閲覧できる部屋などもあるので是非時間を割いてじっくりご覧になって下さい。人々の当たり前の日常が一瞬で無くなってしまう恐ろしさを再確認できると思います。備えって本当に大切です。
ちなみに今の中学校2年生はギリギリ震災を経験している世代。うちの息子も生後数ヶ月でした。あっという間だ。
とりあえず子供達には津波の危険さを理解してくれればいいなと思って来ましたが、わかってくれたかな?
では、本当にこれで全ての予定を消化しましたので仙台を出てまっすぐ家に帰ります。
19時頃に無事自宅に到着。
怪我無く事故なく帰ってこれて良かった!
次に行くときはエリアを絞って深くゆっくり観光するか?それとも今回行けなかった道東に行くか?悩みますね。
また北海道旅行基金を始めなければ(^^;
■統計情報
今回牽引距離:2,400km
合計牽引距離:30,700km
今回出動日数:11泊12日
合計出動日数:161泊235日